『平場の月』を見上げながら、井川遥の主演女優賞を祈る

山本周五郎賞を受賞した朝倉かすみさんの小説を『ハナミズキ』(2010年)、『花束みたいな恋をした』(2021年)の土井裕泰監督が映画化。僕はラブストーリーは苦手だけれど、50代の恋愛ということで興味が湧いたのと、個人的に高く高く評価している『映画ビリギャル』(2015年)の監督でもある土井監督のメガホンということで映画館へ。公開1週目の平日夜の回は6割程度の座席が埋まっていて、落ち着いた大人のいい雰囲気だった。

離婚して地元へ戻り、印刷工場に再就職した青砥健将(堺雅人)は、病院の売店で偶然中学時代の初恋の相手だった須藤葉子(井川遥)と再会する。彼女もまた夫と死別し地元へ戻っていたのだ。互いに独り身となり、離れていた時間を取り戻すように過ごす二人は、再び惹かれ合うようになるが…というストーリー。

静かに淡々と進んでいく映画のテンポが心地よくて、役者は皆笑っちゃうほど適役で芝居が上手く、演出も抑制が効いていて心に染みる実にいい映画でした。

この映画を若い人たちが観るのかどうかはわからないけれど、40代以上の人なら確実に心に刺さる映画なのではないだろうか。50代という人生の終盤に差し掛かる年齢になると、いろんなことが思うようにはいかない。恋愛だって、若い時のようにはいかない。そういうことをこの映画は丁寧に丁寧に描いていく。

そして、物語の終盤で井川遥演じる須藤葉子は、普通ならあまりやらないような、ちょっと驚くような行動を取ってしまうことになるのだけれど、同年代(かそれ以上)の人たちにはその気持ちがわかりすぎるほどわかってしまうのが実に切ない。

主演の堺雅人は、TBSの日曜劇場で見せるような圧倒的オーラを消して、地味な一般の男を演じていて素晴らしい。そして井川遥が、想像以上の存在感を放って心にのこる演技を見せてくれる。これは嬉しい誤算というか、予想以上のサプライズだった。

モデル出身の女優である井川遥は美しいし、いいお芝居をするけれど、一般的に演技派というふうにはみられていないと思う。僕は2002年公開の『tokyo.sora』(監督:石川寛)という映画を観て、とても素晴らしい感性の女優さんだと思っていたけれど、ずっと主演で立つタイプの女優というふうには見ていなかった気がする。

この映画での彼女はいわゆる泣き叫んだり、狂気を見せるような役柄ではないので、演技の評価はわかりにくいかも知れないけれど、須藤葉子という、かたくなで、強く、そして弱い女性の複雑さを井川遥は見事に表現していた。これはやはり、20年以上様々な作品に出演しながら年齢を重ねてきた彼女の実人生が役と重なって見えるからで、抗えない身体の衰えとか、そういうところも込みで本当に素晴らしかった。できれば彼女に今年の主演女優賞を獲ってほしいと思うほどだ

それと、この作品は埼玉県朝霞市が舞台で、実際にロケも行われている。駅周りや河原、路上といったごくありふれた日常的な場所が物語の舞台となるのだが、これがまた実に効いている。朝霞の風景には、これは日本のどんな場所でも起こりうる、ごく普通の人たちの物語だという説得力があってとてもよかった。さらに主人公ふたりの中学時代の回想エピソードのロケーションも、現代パートとリンクしていて素晴らしかった。

僕はどうしてもテレビ局所属で映画を撮る監督というものを、あまり信用できないという偏見を持っているのだけれど、土井監督はさすがの実力者だなと認めざるを得ない完成度の映画でした。そして脚本は向井康介。原作が素晴らしいのは前提ですが、脚本も実に研ぎ澄まされていて名脚本だと思います

11月18日(火) @TOHOシネマズ池袋 スクリーン8

蛇足的追記:

🔳それにしても出てくる役者が皆、役にピッタリすぎて笑ってしまいました。大森南朋、宇野祥平、でんでん、安藤玉恵、柳俊太郎、黒田大輔、松岡依都美、前野朋哉、吉瀬美智子、成田凌などなど。キャスティングディレクターさんは天才ですね。

🔳キャストでびっくりしたのはまず中村ゆり。「中村ゆりそっくりだな〜」と思ってたら本人だった笑。あまりにも清楚で妹感があって、これまで他の作品で見てきた彼女のイメージと全然違っていたので驚きました。出番は少ないけどとても印象的なお芝居でした。

🔳そして塩見三省さん。何年か前に脳出血で倒れられて、だいぶ痩せられていましたが、存在感のある役を立派に演じられていて感動しました。

🔳さらに椿鬼奴さん。引きの画であまりにもさりげなく出られていたので最初気づかなかったのだが、「あれ?この声は…」と思ったらやはり鬼奴さんだった。ラスト近くに大事な芝居があって、実はとても重要な役だったことが最後にわかるのだが、こういう芝居をサラッと演じられるんだから、芸人さんって本当に凄いなと思いました。

🔳11月18日の深夜には、主題歌を担当した星野源さんが自身のラジオ放送「オールナイトニッポン」に土井監督と那須田プロデューサーを招いて、この映画の裏話をたっぷり紹介していました。興味深いエピソードが満載だったので気になった方はぜひradikoなどで聴いてみてください。

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