ネットニュースを見ていたら『盛岡ピカデリーが2025年10月26日で閉館』というニュースが目に入った。老舗映画館がなくなっていくのは、ある程度仕方がないことではあるが、実に寂しいものである。というわけで僕個人の思い出をつらつらと書き残しておこうと思う。
岩手県庁方向から向かうと、映画館が軒を連ねる“映画館通り”の入り口に位置するのが盛岡ピカデリーだ。客席数は176席。今やシネコン時代となったので、100席前後のシアターは普通になったが、僕が初めてこの劇場を訪れた頃は「ずいぶん小さい劇場だな」と思ったものだ。今では考えられないが1977年ごろの盛岡の映画館はどこも2階席があるくらい大きかったのだ。地上から暗い階段を降りてチケット売り場でチケットを買い、さらに地下へ降りていく穴倉のような劇場はなかなか怪しくて、そのいかがわしいような雰囲気が逆にワクワク感をそそるところもあった。


初めてピカデリーで観たのは1977年の春休み『ピンクパンサー3』(監督:ブレイク・エドワーズ)と『ネットワーク』(監督:シドニー・ルメット)の2本立て。僕は当然人気コメディシリーズの『ピンクパンサー3』目当てで見に行き、実際最高に面白かったのだが、同時上映の社会派サスペンス『ネットワーク』もすごく面白かった。当時僕は中学に上がる直前でまだガキだったので、多分単独上映だったら『ネットワーク』は観に行っていなかったと思うが、米・テレビ界の裏側を描いたこの映画は当時の僕にとっても実にわかりやすく、衝撃的な内容で心に残った。こういう作品と出会えるのが2本立てのいいところである。


さらに心に残っているのが1978年のお正月映画『オルカ』(監督:マイケル・アンダーソン)と『カプリコン・1』(監督:ピーター・ハイアムズ)の2本立て。リチャード・ハリス主演の海洋パニックアクション『オルカ』は、物語も良かったけどエンニオ・モリコーネの音楽が人間に家族を殺されてしまったオルカの哀しみを繊細に表現していて心に沁みた。一方、世界初の火星有人探査ロケットを巡る陰謀を描いた『カプリコン・1』はそのサスペンス演出とクライマックスのスカイ・チェイスが実にカッコよく、さらにジェリー・ゴールドスミスの音楽も最高で、映画を観ることの喜びを堪能させてくれた。この2作は生涯忘れることのできない「最高の2本立て」体験として記憶に刻まれている。

そして忘れもしない1978年の夏休み、『さらば宇宙戦艦ヤマト』を観たのも盛岡ピカデリーだった。当時座席の事前予約などというものはなく、その映画を観るためには当日チケット売り場に並ばなければならなかった。この時はピカデリーの地下階段から行列が地上の表通りまでのび、さらに県庁方向までぐんぐん伸びていった。僕は行列に並びながら「これは映画館に入れるのだろうか?」と不安になったものだ。なんとか前の方の座席を確保することができて無事に映画を観ることはできたが、今や考えられないほどの立ち見客が後方や通路に溢れて、2時間31分もの長尺映画をみんな固唾を飲んで見入っていた光景は忘れられない。観終わって劇場を出ると、次回のチケットを購入しようとする人たちがたくさん並んでいた。どうやら僕たちの観た回が札止めになり、並んでいた人たちがそのまま次回上映のチケットを買うために並んだらしい。つまりこの人たちは次の回の『ヤマト』を観るために2時間31分も並んでいたのである。僕は「大ヒットというのはこういうことなのか」とこの時目の当たりにしたのだ。




その後もピカデリーでは『勝利への脱出』『ガンジー』『ハイ・ロード』『コナン・ザ・グレート』など80年代の思い出深い映画をたくさん観させてもらった。

僕が最後に盛岡ピカデリーを訪れたのは、上京し社会人になってだいぶ経ってから。『スイングガールズ』(2004年 監督:矢口史靖)の公開時に、生ガールズたちが来場して演奏するという試写会イベントがあったのだ。「あんな狭い映画館に十何人もの楽器を持った女の子が登壇して演奏なんかできるの?」と思ったが、実際久しぶりに劇場内に入ってみると意外と狭くなかった。昔は大劇場ばかりだったのでピカデリーを小さく感じていたけど、今や176席の映画館は中規模クラスの普通のシアターである。舞台挨拶も演奏も(まあちょっとだけ狭そうだったけど)滞りなく行われた。
聞けば盛岡ピカデリーは2009年に不採算を理由に一度閉館したが、ファンの声によって1ヶ月後に営業を再開したらしい。今回の閉館は入居するビルの老朽化に伴った改修工事による5ヶ月の休業が、経営を圧迫すると判断されてとのこと。これまで本当にギリギリの中、映画ファンのために経営を続けてこられたのだなと感謝の念が尽きない。映写室にはDPCのみならず、今や貴重な35ミリ映写機も2台残されているとのことで、スタッフの皆さんの映画愛が伝わってきます。とにかく、56年間楽しい思い出をありがとう、お疲れ様でした。
(9月24日の日記より)